「子供の貧困」に思う

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私もあまり長い時期ではないが、シングルマザーというものを経験したことがある。

助けてくれる身内が近くにいなければ、働くために子供を保育施設に預けざるをえない。私はイギリスに住んでいたので誰の助けも得ることができず、まだ1歳だった子供を保育施設に入れて働くことになった。

保育施設はやっぱり「お金」が先行する。子供を預けて働きに出るまで、爪に火をともすような生活をしているというのに、まず保育料を支払い、預けていても「他の子にうつる」という理由でちょっと風邪を引いたりすると預かってもらえなくなる。そういう時は仕事を休まなければならなくなり、だんだん私たちの生活は苦しくなっていった。

そのうちに家賃を払えなくなった。

公共料金も払えなくなった。

それなのに、保育料だけは支払わなければならないというサイクルに陥り、冷蔵庫の中は空っぽになり、子供は空腹で眠ることもできなくなり、私も眠い目をこすりながら仕事へ出かけるという最悪の状態になってしまった。

私はそんな中でも、いつも「神」に感謝していた。

食べるものがなくても今日も子供と過ごせることについて、感謝した。

二人で口に入れるものはビスケット数枚だけということもあったが、それでも私は生きていることに感謝し続けた。

イギリスの教会では、時々ボランティアが食事を無料で提供したり、昼間はカフェのようなことを無料で行っていたりするので、私は子供とふたりで時々お茶を頂きに行った。お腹をすかせていた私の子供は「おいしいね」と喜んで食べた。教会のボランティアの人は、時々来る私達を見て、子供にセーターを編んでくれたり、マフラーを編んでくれて、私も子供もこんなどん底の生活でも、彼らのおかげで強い意志で耐えしのいでいけた。

ある夜、私は子供の寝顔を見て涙が出た。情けないやら、子供が可哀想やら、自分も朝早く起きて夜遅くまで頑張っているので疲れもどっと出てきたのかもしれない。

「数カ月分の家賃と公共料金を支払えたら前にすすめるのになあ・・・」

私は神様にお金を乞うということを考えてもみなかったけれど、私たちが生きていけるようにいつも見守っていて下さるなら、神様と話をしてみようと思い立った。

翌日の夕方、仕事が終わったあと、私は子供といつもの教会に行き、誰もいない静かな中で目を閉じて、ひざまづいた。

子供も私の真似をしてひざまづいて手を合わせ、目をつぶって静かに祈った。1歳の子供でも祈ることは知っていたのだ。私は子供が大きくなった今でも、この光景は忘れることができない。こんな小さな子供が、神に祈っているのだ。

私は神に感謝を伝えるとともに「数カ月分の家賃と公共料金を支払えるだけのお金を与えてください」とズバリ率直にお願いした。

神にお金をせびるなんて!という人もいると思うし、私もその一人だった。でも私には神の他に率直に心の中を打ち明ける人がいなかったのだ。別にお金なんて期待していなかったし、胸の内を打ち明けただけで、実はすっきりしてしまったのだ。

翌日はすっかり気分が明るくなり、普通に仕事にでかけた。

そして翌々日の朝、通勤のバスの中で私の携帯にメッセージが入った。降りる寸前だったので、あとでメッセージを確認しようと思って、バスを降りて道を歩きながら携帯電話のメッセージをチェックした。

メッセージの送り主は私の使っている銀行からだった。

イギリスの銀行は出入金があると携帯にメッセージを送ってくる。その日はたまたま給料日だったので、給料が入ったんだな、と思って携帯をしまおうとした時「?!」ともう一度携帯電話をチェックした。

すると、そこには入金のお知らせがあり、これまで見たこともないほどの大金が私の口座に振り込まれていた。

目を疑うとはこの事だ。

銀行のATMでチェックしても確かに大金が入っている。イギリスでは、収入にもよるが保育施設の料金を政府が一部補助してくれるのだが、申請した数カ月前までの分をさかのぼって支払われたのと、自分ですっかり忘れていたが、税金の還付金が一緒にもどってきていたのだ。

私は道の真中でボロボロと涙をこぼしてしまった。「神様、本当にありがとうございます」と何度も何度も言った。自分の中から湧き出る「感謝」のエネルギーに圧倒されながら、必死の思いで仕事をし、子供を保育施設に迎えに行った。そして子供が大好物だったmackerel(サバ)をスーパーで買い、ごはんと一緒に食べた。久しぶりの食事らしい食事だった。

その夜のうちに、滞納していた数ヶ月の家賃を全額支払い、公共料金もコンビニで払い終えたが、それでもお金は有り余っていた。私はそのお金で食材などを大量に購入して、いつもの教会に行った。教会で行っている無料の食事のために、常に食材の寄付を必要としていた。教会のボランティアの方にそれを手渡し、いく分かのお金を教会の寄付金入れに入れ、ひざまづいて目を閉じて、あの時の祈りと同じように率直に神様に言った。

「神様、私たち親子を助けてくださってありがとうございます。でも神様、お振り込み頂いた金額がちょっと大金過ぎたのでお返ししますね」

なんだか神様もニヤリとしたような気がした。

私はこの大金のおかげで、生活を立て直すことができたので、それ以降、少し余裕があるときには教会に食材などを寄付し続けた。私たちを助けてくださった時のように、今度は私が見知らぬ誰かを助けたかったからだ。

日本の貧困率があがっている。子供の貧困が社会問題になっている。そんなニュースを聞くたびに、私は自分のこのどん底生活を思い出す。たとえ今は貧困でも、強い意志と神のサポートでいつかはぬけ出すことができると信じたい。

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2件のコメント 追加

  1. 足利哲 より:

    とても感動しました。

    いいね

  2. 草場 隆好 より:

    とても、心温まるお話ですね
    ありがとうございます。

    あなた様のお話に触れられたことに
    感謝いたします。

    いいね

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